死を感じる。

日常 2007/09/07

6日、3大テノールの一人ルチアーノ・パバロッティ氏が亡くなりました。

オペラ歌手の中では最も尊敬していた方だったので、本当に残念です。・・・一生に一度、彼の演奏を生で聴いてみたかった・・・。
最近話題に上った方だったので、新聞で見たときはもう、悔しいというか悲しいというか。

ご冥福を御祈り申し上げます。

http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/kfuln20070907006006.html?C=S

身近に死を感じることが多い気がします。
私の小学生時代の同級生が、私が中2のとき白血病で亡くなりました。
もっと若い時に、自身の肉親を亡くした同級生もいます。
・・・そういう知らせを、毎回母から聞かされる度に私は考えました。

「死ってどういうことなのかなあ」と。

今まで当たり前にいた人間が、もういなくなるという事実。それが死という現実。
祖父が危篤状態に陥った時も、危ないとは知りつつ「死」というものの実感がありませんでした。

現に今生きている彼を知っている。
もしかしたら「生きていること」が当たり前だと根拠もなく思い込んでいたのかもしれません。

ということは、やはり「死」とは既成した後に無理矢理認識せざるを得ない存在、ということなのでしょうか。
死んで初めて理解するもの。
それは極限まで至らなくては理解し得ないもの。
ということなのでしょうか。

実際は、死を完全に理解することはできない。それは自身が「死ぬ」ことだから。
私は間接的に、他人の「死」を見ているだけに過ぎず、漠然としている。

何故死が怖いと思うのか。それは死を”未来に起こるであろうことの痛み”として恐れるから。
ある小説(うるおぼえなので・・・)の死刑確定囚が言った言葉の部分書きを引用しました。
死は「未来」であり、私たちはまだ起こりえないその「苦しみや痛み」を想像して、そうして恐れる。だから死ぬことが恐い。

死を身近に感じることは、貴重だ。「死」について考えさせられる機会は大いにこしたことはない。
平気でヒトに、「死ねばいいのに」とは絶対言えなくなるから。

「死ぬ」ということがどういうことなのかを、理解しようとすればするほど、

「死ね」なんてことを他人に吐くことが、どんなに愚かで恥ずかしいことかを知らしめてくれるから。

テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

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